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大分地方裁判所 昭和55年(ワ)623号 判決

原告 甲野花子

〈ほか一名〉

右両名訴訟代理人弁護士 木村一八郎

被告 丙川春子

右訴訟代理人弁護士 古城敏雄

主文

一  原告らの請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

(当事者の求めた裁判)

第一請求の趣旨

一  原告ら、被告間において、被告には訴外亡乙山一郎(以下単に「訴外一郎」という。)との離婚に基づく財産分与請求権の存在しないことを確認する。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

第二請求の趣旨に対する答弁

一  本案前の答弁

1 原告らの訴を却下する。

2 訴訟費用は原告らの負担とする。

二  本案の答弁

主文同旨

(当事者の主張)

第一請求の原因

一  被告と訴外一郎は、昭和三二年一一月五日に婚姻し、昭和三四年五月二二日に原告花子、昭和三八年三月三〇日に同桜子をそれぞれもうけた。

二  被告は、昭和五〇年ころから、当時大分県甲田市立乙田小学校の教員であった訴外丙川松夫(以下単に「訴外丙川」という。)と不倫な関係を結ぶに至った。

三  このため、当時の訴外丙川の妻訴外竹子(以下単に「訴外竹子」という。)が、昭和五二年六月一〇日、被告に対し、右不倫行為を原因として、金七〇〇〇万円の慰藉料を求める調停を、大分家庭裁判所丙田支部に申立てた(同支部昭和五二年家(イ)第五五号調停事件)。

四  訴外一郎は、驚いたが、原告ら二人の子供もおり、一方、被告が反省し、訴外丙川との関係を清算すると言うので、これを許し、訴外丙川に対し金三〇〇万円の金員を融通し、右調停を取り下げてもらった。

五  ところが、被告は、その後も訴外丙川との関係を断たなかったばかりか、昭和五三年四月末ころ、原告花子が大学に入学するにあたり、その下宿探しを口実に家を出、そのまま訴外丙川のもとに奔り、その後、同年五月二三日に被告の弟訴外戊田梅夫が離婚届用紙を携えて訴外一郎のもとを訪ね、「女としての姉の幸せのために署名して欲しい」と述べるに至ったので、訴外一郎もこれに応じ、同日、被告と訴外一郎の協議離婚が成立した。

六  訴外丙川は、被告と訴外一郎の離婚に先立つ同年一月三〇日、既に訴外竹子と協議離婚しており、被告と訴外丙川は、被告の再婚禁止期間終了の日の翌日である同年一一月二四日に婚姻した。

七  訴外一郎は昭和五五年一月二〇日に死亡したが、その後の同年五月一九日、被告は、原告両名が同訴外人の被告に対する財産分与義務を相続したとして、大分家庭裁判所丙田支部に財産分与の審判を申立てた。

八  しかしながら、次のとおり、財産分与義務の性質から、原告らが同訴外人の右義務を相続することはなく、また、たとえ原告らがこれを相続することがあるとしても、その有責性及び離婚時の訴外一郎の財産状況に鑑みると、被告には同訴外人に対する財産分与請求権は存在しないといわなければならない。すなわち、

1 財産分与請求権は一身専属的権利・義務であって、相続されることはない(民法八九六条但書)。ただ、生前に具体的な請求がなされることによってこれが具体的な請求権となった場合に限り、右具体的財産分与請求権は相続される。

しかし、被告が同訴外人に対し、その生前に財産分与の請求をした事実はない。

したがって、訴外一郎の被告に対する財産分与義務は未だ具体化しておらず、原告らがこれを相続する余地もない。

2 訴外一郎と被告の離婚原因は被告の不貞にあり、このような被告に財産分与請求権は存在しない。

3 訴外一郎の被告との離婚時(昭和五三年五月二三日)における財産の状況は、次のとおり、消極財産が積極財産を遙かに上回っており、被告に分与すべき財産は存在しなかったのであるから、被告に財産分与請求権は存在しない。

(一) 積極財産

ア 別紙不動産目録記載の各土地・建物 評価額 金四〇一二万八〇〇〇円

イ 銀行預金 金七八万六〇四六円

ウ 別紙動産目録(一)のうち、一、二、九の1及び同動産目録(二)記載の各動産

(二) 消極財産

ア 訴外国民金融公庫(甲山支店)に対する借入れ債務 金一〇五〇万円

イ 訴外大分銀行(丙山支店)に対する借入れ債務 金三〇六〇万円

ウ 訴外丁山に対する買掛債務 金三〇〇万四七九三円

エ 訴外戊山株式会社に対する買掛債務 金三七八万〇八〇二円

合計 金四七六九万九六四九円

なお、その後、原告らは訴外一郎死亡により同訴外人の生命保険金九〇〇〇万円(内金七〇〇〇万円は一括払い、残金は分割払い。)を受取ったが、その一部で右債務を完済した。

一方、被告も、同訴外人の死亡により、訴外第一生命保険相互会社との団体定期生命保険契約に基づく同訴外人の生命保険金九〇〇万円を受領した。

九  よって、請求の趣旨記載の判決を求める。

第二被告の本案前の主張

一  民法七六八条の規定による財産の分与に関する請求権の存否及びその額・方法を決定する事件は専ら家庭裁判所の管轄に属し、地方裁判所は管轄権を有しないものというべきである。

二  すなわち、裁判所法三一条の三第一項の法意は、家事審判法の目的及び家庭裁判所の機能に鑑み、同法所定の調停・審判事項については家庭裁判所の専属管轄とし、反面、これにつき、地方裁判所は管轄権を有しないこととする趣旨と解される。

三  そして、民法七六八条二項の規定による財産の分与に関する処分(その存否についての判断を含む。)は家事審判法九条一項乙類五号に規定された審判事項であって、これにつき地方裁判所が裁判することができる旨の規定はない。

四  よって、本件訴は管轄違いの訴として却下されるべきである。

第三被告の本案前の主張に対する原告の答弁

財産分与の程度・方法はともかく、該請求権の存否自体は実体法上の権利関係であるから、訴訟事項として地方裁判所の管轄に属する(最大決昭和四一年三月二日、民集二〇巻三号三六〇頁以下参照)。

第四請求の原因に対する認否

一  請求原因一項は認める。

二  同二項は否認する。

三  同三項は認める。

四  同四項は否認する。

五  同五項のうち、被告と訴外一郎の離婚の事実は認め、その余は否認する。

六  同六、七項は認める。

七  同八項の1は争う。

財産分与請求権は、離婚という事実と夫婦財産の清算を成立させる事実が存在すれば、当然に発生するものであり(我妻・親族法一五六頁)、特段の意思表示をしていなくとも相続の対象となりうることはいうまでもない。

また、本件のような財産分与義務は、夫の生前に財産分与請求の確定的な意思表示がなされたか否かにかかわらず、相続されるものと解される(注釈民法二一巻二一九頁)。

八  同八項の2は否認する。

被告が訴外丙川と婚姻するまでの経緯は次のとおりであり、その間、被告が不貞行為に及んだ事実はない。

1 訴外丙川は、小学校の音楽科教諭であり、昭和四〇年一月二〇日、訴外竹子と婚姻して三子をもうけ、昭和四九年四月、甲田市立乙田小学校に赴任した。

2 訴外丙川は、同校において、六学年に在籍していた原告桜子の音楽の授業だけを担当することとなり、前同原告の卒業式の準備のため、昭和五〇年三月ころ、被告方にレコードを借りに行った際、初めて被告に会った。

3 訴外丙川が被告方を時折訪れるようになったのは、昭和五一年一月ころからであって、それは、当時被告方に滞在していた米国人夫婦が縦笛の練習をするということで、訴外丙川が知人の丁田中学校教諭から誘われたためである。被告に誘われたのではない。

右練習は毎週土曜日の夜行われたが、これには訴外一郎や訴外竹子も出席していた。練習の後、飲食のため街に出かけることもあったが、これも前同訴外人らを伴うのが常であって、訴外丙川、被告の両名だけで街に出向くことはなかった。

被告は原告花子の在学する丁田中学校のPTA役員をしていたが、訴外丙川の勤務先は前記小学校であり、PTAの関係でも両名が接する機会はなかった。

このように、両名は個人的な交際をすることはなく、まして肉体関係など到底考えられないことであった。

前記米国人夫婦が同年一二月ころ帰国すると、縦笛の練習も終わり、その後は訴外丙川が被告方を訪れることもなくなった。

4 一方、訴外竹子は、同丙川が合唱団の練習に熱を入れ過ぎて家庭を顧みないことに次第に、不満をつのらせ、結局、同訴外人らの婚姻関係が破綻するに及んだため、訴外丙川は同竹子に対し、昭和五三年一月二八日、自ら調達した金三〇〇万円を慰藉料・財産分与として支払い、同月三〇日、三人の子供を訴外丙川が引き取ることとして、訴外竹子と協議離婚した。

5 右離婚の八か月前ころ、原告主張のとおり、訴外竹子は被告を相手方として慰藉料請求の調停を申立てたが、被告には全く身に覚えのないことであったから、被告は調停の席上訴外丙川との関係を全面的に否定した。

一方、訴外竹子もその請求の根拠のないことを悟ったためか、その後の調停期日には出席しないようになり、離婚時にはそのような関係のないことを了解していた。

6 ところで、被告は、かねてから、訴外一郎の麻薬中毒、飲酒癖、女遊び、狂暴性に悩み、心身ともに甚大な苦痛を受けて来たが、原告らのことを考え、これに耐えて婚姻生活を継続してきた。

しかし、訴外一郎の狂暴性は益々つのり、被告は昭和五三年四月二八日には心身ともに限界を覚えるとともに身の危険も感じて家を出るに至った。

そして、一時、神戸市内の原告花子のマンションに立ち寄った後、静岡や大阪の兄弟方などに身を寄せ、同年八月、大分県内の実家に戻った。

その間、被告は、兄弟らとも相談の上、訴外一郎との離婚を決意し、同年五月二三日、協議離婚した。

7 訴外丙川は、昭和五三年四月、乙川市立丁川小学校に赴任したが、子供三人は実家で面倒を見てもらうという状況であったため、かねてから、再婚の相手を探して見合いを重ねていたところ、同年八月一五日すぎころ、被告の実妹から被告と訴外一郎との離婚のことを初めて聞くとともに、見合いを勧められ、同月三〇日、別府市内で双方の関係者が出席の上見合いをした。

その後、被告の両親が病気で入院する状態となり、一方、訴外丙川の母も心臓が悪く、三人の子供らの面倒を見ることはできないようになったので、訴外丙川は被告との婚姻の意思を固め、同年一一月二三日に結婚式を上げ、翌日婚姻届を提出した。

右届出の日は被告の再婚禁止期間終了の日の翌日にあたるが、これは全くの偶然であって、その日を待って届出したというわけではない。

九  同八項の3のうち、消極財産は不知。積極財産のうち、不動産が別紙不動産目録記載のとおりであることは認める。動産及び預金等は別紙動産目録(一)記載のとおりである。被告が金九〇〇万円の生命保険金を受領したことは認める。

原告らは、同項の生命保険金の外に約金三六〇〇万円の保険金を受領している。

また、訴外一郎死亡による総遺産価額は税務署の評価でさえも金一億五〇九三万一七三六円である。

第五抗弁

仮に、被告の財産分与請求権が相続されるためには、訴外一郎の生前に被告から同訴外人に対し財産分与請求の意思表示がなされていなければならないとしても、被告は訴外一郎の生前、同訴外人に対し、次のとおり右意思表示をしているから、やはり、原告らに対し、これを請求することができる。

すなわち、被告は訴外一郎の麻薬中毒などの状態に耐えきれず、前述のとおり、家を出たが、その後、訴外一郎との離婚を決意し、弟の訴外戊田梅夫にこれを伝えさせるに際し、離婚に伴う慰藉料や財産分与の請求をなす権限を同訴外人に与え、同訴外人は、昭和五三年五月三日、訴外一郎と会い、離婚、財産分与、慰藉料などの請求をした。これに対し、訴外一郎は「十分なことはする。」と答えた。

訴外戊田梅夫は、更に、同月二三日に訴外一郎に会い、同様の請求をしたところ、訴外一郎は「いま銀行に借金があるので、これから働いてなんとかする。」と明言した。

訴外戊田梅夫はこれを信じて、同日、離婚の届出をした。

離婚の届出だけを切り離して先に届出たのは、一日も早く被告の精神的不安を取り除こうとしたためである。

(証拠)《省略》

理由

(被告の本案前の主張に対する判断)

被告に財産分与請求権が存するか否かを最終的に確定することは正に純然たる訴訟事件であって、地方裁判所の管轄事項と認められる(婚姻費用の分担に関する最大決昭和四〇年六月三〇日民集一五巻一一一四頁以下参照)から、被告の本案前の主張は理由がない。

(請求原因について)

第一財産分与義務の相続について

一  被告が原告らに対し、別件の当庁昭和五五年(ワ)第八〇一号慰藉料請求事件で、離婚自体に基づく金五〇〇〇万円の慰藉料を請求していること(右事実は当裁判所に顕著である。)に鑑みると、原告が不存在の確認を求める本件財産分与請求権は、所謂夫婦共同財産の清算(潜在的持分の取戻し)と離婚後昭和五三年一一月二四日に訴外丙川と再婚するまでの半年間の扶養を内容とするものと認められるが、仮に、訴外一郎が被告に対し、このような財産分与義務を負担していたとしても、これが原告らに相続されないのであれば、その余について判断するまでもなく、原告の請求は理由があるといわなければならない。

二  ところで、所謂清算的財産分与義務に関しては、それが財産的請求権であることに鑑みると、その相続を否定する理由はない(民法八九六条参照)。

三  一方、扶養的財産分与義務については、原告主張のように、該義務の一身専属性を肯定しつつ、被相続人の生前に財産分与請求の意思表示がなされたか否かで決する考えもあるが、俄に採用しがたいといわなければならない(慰藉料の相続に関する最判昭和四二年一一月一日民集二一巻九号二二四九頁以下参照)。

むしろ、第一に、民法上の相続制度の趣旨は、同法八八七条以下所定の相続人に対し、相続財産中に存在するその潜在的持分の取戻しを認めるとともに、その生活保障を図ることなどにあると解されるところ、配偶者の場合、このような要請は、離婚の場合にも存在し、これを規定したのが同法七六八条であると解することもでき、このような見地によると、扶養的財産分与義務は、その相続を認めるのが相当と考えられること、第二に、相続人が、その承継した被相続人の立場に立って、財産の分与に関する協議をすることも実際上は可能であること、第三に、該義務の相続を肯定したとしても、相続放棄・限定承認など民法上の他の制度によりその責任を相続財産の限度にとどめることが可能であること、第四に、扶養に関する一般規定たる民法八八一条は「扶養を受ける権利は、これを処分することができない。」と規定するだけであって、同条も明文上は扶養「義務」の「相続」を否定してはいないこと、などの諸点に鑑みると、扶養的財産分与義務についても、その相続を肯定するのが相当であるといわなければならない。

四  以上によると、本件財産分与義務が原告らに相続されないことを理由とする原告の請求は理由がない。

第二本件財産分与請求権の存否について

原告らは離婚原因が被告の不貞行為にあることあるいは離婚時の訴外一郎名義の財産において消極財産が積極財産を上回っていることから、ただちに、被告に財産分与請求権が存在しないと主張するが、民法七六八条三項によると、当該請求権の存否を判断するにあたっては、仮に右のような事情が存在したとしても、それだけではなく、その他一切の事情を考慮することが必要であると認められる。

一  当事者間に争いのない事実

請求原因一項(被告と訴外一郎の婚姻、原告らの出生)、同三項(訴外竹子の慰藉料請求調停の申立て)、同五項のうち、被告と訴外一郎の離婚、同六(訴外丙川と訴外竹子の離婚、被告と訴外丙川の婚姻)、七項(訴外一郎の死亡と被告の財産分与審判の申立て)の各事実については当事者間に争いがない。

二  訴外一郎の麻薬中毒の状態にあったかについて

《証拠省略》によると、

1 訴外一郎は、昭和二九年六月二六日から同年七月一〇日まではオートン中毒症、昭和三三年八月一五日から同月二六日までと昭和三五年四月二一日から同年五月一七日まではいずれも塩酸モルヒネ中毒の各病名で、大分県別府市《番地省略》所在の甲原病院に入院し治療を受けた。

2 同訴外人は、昭和四九年一〇月二四日から同年一一月二五日までの間、慢性ペンタジン中毒の診断の下、九州大学付属病院に入院し、離脱のための治療を受けた、

3 ペンタジンは米国ウインスロップ社において開発されたペンタゾシンの製剤であるところ、ペンタゾシン三〇ミリグラムの非経口投与ではモルヒネ一〇ミリグラムにほぼ匹敵する鎮痛効果を有する。

そして、その大量連用により、ときには薬物依存性を生ずることがあり、また大量連用後、投与を急に中止すると、まれに手指振戦、不安、興奮、悪心、動悸、冷感、不眠などの禁断症状が現れることがあり、幻覚、錯乱などの精神症状の現れるおそれもある、

との各事実を認めることができる。

《証拠判断省略》

前記認定の各事実及び《証拠省略》によると、訴外一郎は被告との婚姻前から入院治療を要する薬物中毒の状態にあり、その後、塩酸モルヒネ中毒及びこれに類似した慢性ペンタジン中毒の状態にあったことは動かしがたいといわなければならない。

三  被告の不貞行為の存否について

《証拠省略》によると、

1 訴外丁原竹五郎は大分市内の寺院の住職であって、訴外丙川と同竹子の婚姻の仲人をした者であったことから、訴外竹子の申立てた慰藉料請求調停事件(大分家庭裁判所丙田支部昭和五二年家(イ)第五五号調停事件)関係者らの話を聞くなどしていた、

2 その一環として、同訴外人は、右調停が申立てられた後、甲田市に赴き、訴外丙川と被告に面会して事情を聞いたが、その際、同訴外人らは不貞行為を否定するような態度であった、

しかし、その数日後、訴外丁原が、同丙川方において、同丙川、同竹子と面会したところ、同丙川は同丁原に対し、同竹子の面前で、これを認めた上謝罪の言葉を述べた、

3 一方、そのころ、被告は、訴外丁原が住職をしている大分市内の寺院に、訴外乙原菊子(同一郎の姉)とともに、同竹子に対する前記調停取下げの交渉を依頼に赴いたが、不貞行為を否定する被告に対し、訴外乙原が、同丁原の面前で、「あなたがしてもいないことでそんなに言われるのなら、名誉毀損で訴えたらどうか。」と言ったところ、被告も遂には訴外丙川とモーテルに行ったことを認めたため、訴外乙原も、もはや訴外丁原に対し右交渉を依頼するどころではなくなり、早々にその場を辞した、

との各事実を認めることができる。

《証拠判断省略》

前記認定の各事実に被告と訴外一郎の婚姻が被告の再婚禁止期間終了の日の翌日であること(右事実は当事者間に争いがない。)及び《証拠省略》を勘案すると、被告が訴外丙川と昭和五一年ころから不貞行為に及んでいた事実は動かしがたいといわなければならない。

四  被告と訴外一郎との婚姻生活の状況について

前記一ないし三項の各事実のほか、《証拠省略》によると、被告と訴外一郎との婚姻生活の状況につき、次のとおりの各事実を認めることができる。

1 被告は、訴外一郎との婚姻前は中学校・高校の教諭として大分県内各地の学校を転勤し、婚姻当時は大分県内の戊原港から船で約一時間くらいのところにある丙原中学校の教諭をしており、一方、訴外一郎は、当時、丙原内の建物を借りて、内科専門の診療所を開業しながら、前記中学校の校医もしていた。

両名は、右中学校長の仲介により見合いをし、まもなく婚姻した。

2 被告は、婚姻後まもなく、訴外一郎が入院治療を要するような薬物中毒の状態にあることを知って驚き、一時は離婚も考えたが、既に、父親から多額の婚姻費用を出してもらっていた上、訴外一郎の業務に必要なレントゲン機械など、高価な医療機器購入代金をも借用していたこと、更に、父親から訴外一郎を更生させるのが被告の務めであるなどと言われたことなどから、これを思いとどまった。

被告は、その後も何度か実家に戻ることがあったが、子供(原告)らのことなども考え、離婚を思いとどまってきた。

3 被告は、その後、訴外一郎を薬物中毒から離脱させようとして、同訴外人の使用する薬品を隠し、アンプルに小分けされた薬品の濃度を薄め、あるいは、嫌がる同訴外人を説得して、諸処の病院に入院させたりしたが、同訴外人は、被告に激しい暴力を振うなどして薬品を捜し出し、あるいは、退院後まもなく容易に手に入る鎮痛剤などを濫用し始めるという状況であったから、結局、同訴外人は薬物中毒から離脱することができなかった。

被告は、右のように、訴外一郎の更生に助力するとともに、同訴外人の開業医としての業務に関し、診察の際の補助的作業から薬品会社や銀行に対する支払、借入れの算段などまで、その全般にわたってこれを補助した。

4 しかしながら、同訴外人は、薬が切れたような時は、不機嫌になり、また、被告に対し激しい暴力を振うこともあったほか、昭和四五年ころからは夫婦生活も途絶えてしまい、一方、被告は、前述のように、訴外一郎の更生や補助的業務に携わりながらも、常に同訴外人が薬物中毒の状態にあることが公になることを恐れ、また、そのようになった場合のことをかんがえると不安でたまらなくなるという状況であったのであって、このように、直接間接に同訴外人の薬物中毒に起因する被告の様々な心労や肉体的苦痛などには重大なものがあった。

5 被告と訴外一郎が婚姻中に取得した財産や出捐した費用等の主なものは次のとおりである。

(一) 昭和三五年ころ、訴外一郎は、来島した厚生省の係官から腕の注射痕を調べられた上、医師免許剥奪の可能性を告げられたものの、結局、同島の医療事情から、そのような事態は免れることができたが、麻薬施用者免許は取消されてしまった。

そのころ、港から船で四、五分のところにある大分県甲田市乙野島に折良く売りに出された医院(別紙不動産目録三、四記載の土地・建物(ただし、増築前のもの))があり、訴外一郎の治療に当たった医師も、転居して気分を一新することは治療上からも望ましいとの意向であったので、これを買い求め、同年一〇月ころ、同島に転居するとともに同所で医院を開業した。

その後、銀行から金三〇〇万円を借り入れて右建物を増築するとともに、看護婦などを居住させるため、同一敷地内に同目録四符号1の建物を新築した。

(二) 昭和四三年、別紙不動産目録一記載の土地を購入し、翌四四年には銀行から金一八〇〇万円を借入れて、同目録二記載の建物を建築し、右建物完成後、訴外一郎と被告は右住居から乙野島の医院に通うようになった。

(三) 訴外一郎は、父親である訴外亡乙山松太郎の生命保険金で大学を出たこともあってか、経済観念は乏しく、自らには高額の生命保険金(当初は金二、三億円(毎月の掛金が約金三〇万円)、その後は金九〇〇〇万円)をかけながら、他から借金してまでも、高価なゴルフ会員権や乗用自動車、絵画、骨董品などを買い入れるなどし(ただし、別紙動産目録(一)記載の動産類の全てが、訴外一郎だけの意思に基づき購入されたというわけではない。)、被告と口論になると、自分の死亡により高額の生命保険金が入るから、これにより弁済することができ、心配することはないと言うのが常であった。

(四) 訴外一郎が、前記認定のとおり、諸処の病院に入院している間は、所謂代診の医師を依頼し、これに対し相当額の代診料を支払わなければならなかった。

(五) 子供(原告)らに対しては、いずれも高等教育を受けさせたほか、ピアノや華道・茶道の稽古事をさせ、華道等では師範の免許までを得させた。

(六) いずれも、同訴外人の親族である、実弟の訴外二郎に対し、その大学卒業までの学資や生活費を定期的に送金したほか、卒業後の就職に際しても、使用する乗用自動車の頭金を支払い、実母に対しては約二一年間にわたって定期的に送金し、実弟訴外三郎に対しては、その事業資金を融通したほか、その負債を弁済し、更には、その生活資金までを他から借金して用立てたこともあり、実妹の娘に対しては、その医大入学金の支払いを引受け、これを数年間かかって弁済したこともあった。

《証拠判断省略》

五  被告と訴外一郎の離婚以後の事情について

《証拠省略》によると、被告と訴外一郎の離婚以後の事情につき、次のとおりの各事実を認めることができる。

1 被告と訴外一郎の離婚当時存在した訴外一郎名義あるいは右両名が共同で取得したと推測される財産の状況は次のとおりであった。

(一) 積極財産

ア 別紙不動産目録記載の各土地・建物 評価額合計金四〇一二万八〇〇〇円

イ 銀行預金 金七八万六〇四六円

ウ 別紙動産目録(一)(ただし五ないし八を除く)、(二)記載の各動産(ただし、同目録(一)中二の1、2、4、5記載の物は、それぞれ同目録(二)の六、一〇、五、一七、二〇各記載の物と同一である。)

(二) 消極財産

ア 訴外国民金融公庫(甲山支店)に対する借入れ債務 金一〇五〇万円

イ 訴外大分銀行(丙山支店)に対する借入れ債務 金三〇六〇万円

ウ 訴外丁山に対する買掛債務 金一三四万三六四三円

エ 訴外戊山株式会社に対する買掛債務 金三七八万〇八〇二円

合計 金四六二二万四四四五円

2 その後、原告らは、訴外一郎の死亡に伴い、生命保険金合計約金九〇〇〇万円の一部金七〇〇〇万円が入ったので、その一部により前項の債務を完済し、その後、残金二〇〇〇万円をも受領した。

被告主張の約金三六〇〇万円の保険金は右金九〇〇〇万円の内金である。

また、被告も、同訴外人死亡により、第一生命保険相互会社から生命保険金九〇〇万円を受領した。

3 訴外一郎死亡に伴う相続税総額決定のため、甲田税務署長によりなされた同訴外人の総遺産価額決定額は金一億五〇九三万一七三六円であり、同債務控除の合計額は金六六三三万九二〇〇円であって、課税価格の合計額は金八四五九万二〇〇〇円である。

《証拠判断省略》

六  以上のような諸般の事情、殊に、被告も、婚姻以来約二一年間は不貞行為に及ぶなどのことはなく、相当の忍耐と努力を重ねて、婚姻生活を維持してきたものであること、離婚の直接の契機は被告の不貞行為にあり、それ自体は責められなければならないとしても、被告がそのような行為に出るについては、訴外一郎との前記認定のような婚姻生活状況が影響しているものと窺れ、婚姻関係を破綻させたものとして被告のみを責めることは相当でないこと、離婚時に残存していた被告と訴外一郎の共同財産などにおいては、積極財産が消極財産を上回っており、右積極財産は、形式的には訴外一郎の働きによって取得されたものであるとしても、実質的には、そのうちに被告の前述のような働きによる持分を内在したものであること、右消極財産には、訴外一郎の親族に対する多大の援助や訴外一郎入院中の代診料のほか、訴外一郎の多額にのぼる生命保険料金の支払いなどが大きく影響していると認められることなどの諸般の事情を総合考慮すると、被告に訴外一郎との離婚に基づく清算的・扶養的財産分与請求権が全く存在しないということは到底できないといわなければならない。

第三結論

以上によると、その余につき判断するまでもなく、原告らの請求は理由がないから、これを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 富永良朗)

〈以下省略〉

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